今年になってのNさんの書き込みの量には驚かされます。
そんな訳で,静観していることが正解枝です。
それに,滞留した事務は本格的に拙くなっていて,ひたすら働いたのですが,まだまだ出口が見えません。
そのうえ,来週6日から小笠原相談会。。。。ヤバ・・
が,PCいじっていたら,段ボール箱の中に04年の投稿記事が残っていたので貼り付けておきます。
ホームレス生活者への法律教室東京司法書士会
後 閑 一 博
ホームレス問題の現状
2002年8月7日「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」が制定された。同法で定めるところにより国の基本方針策定のために2003年厚生労働省が調査した結果、全国の野宿者(ホームレス、路上生活者)は、25,296人いることがわかった。しかし、この数は生活困窮者(欧米流の定義による「ホームレス」=安定的な住環境にない人たち。日本で言う「野宿者予備軍」)のごく一部に過ぎない。その背後には、114万人の生活保護受給者(2002年)、推定200万人の生活保護水準以下の年金受給者、200万人のフリーター、350万人の完全失業者、21万人の自己破産者、等々が控えている。90年代以降、長引く不況と雇用の流動化の中で、日本もアメリカ型の「立派な」階層分化社会になりつつある。東京だけでも毎年2000人が新規に路上に「流入」してきており、行政が行う野宿者対策では吸収できずに増え続けているのが現状である。
増え続けるホームレスの大きな誘引は、多重債務の問題である。人は生活困窮に陥ったとき、誰しもホームレスになるまいと必死の努力をする。家族親族・友人知人を頼り、または消費者金融などから借金し、返済に窮した結果、「負目」を感じながらホームレスとなる。当然、借金は残り、しかも「負目」という数字に表れない高利がつきまとう。これが悪循環となり路上脱却を妨げる一つの阻害要因となる。
悪循環はさらに続き、野宿者は怠惰と評価され、就労への道が閉ざされる。ところが現実には、統計によっても、野宿者の7割の人が何らかの形で仕事をして収入を得ているし、直接食料を得るための努力を労働に含めれば100%に近い野宿者は労働していることになる。しかし、彼らに対しての世間の目は冷たく、ひとたび路上にでることにより、就業することは極めて困難となる。
ホームレスに関する法律教室の分類
前記に報告した現状のなかでも、ホームレスに関する「法律教室」は、少なくとも次の3種に分類される。
1つは、野宿者自身に対し、生存権等の自ら当然に持つ人権についての啓発や自立意欲の喚起に関するものである。彼らは、野宿に至る経緯の中で人との接触により少しずつ追い詰められてきたという気持ちが根底にあり、部外者に対しての警戒心が強い。そこへ、憲法で保障された人権としての生存権などと説明しても理解されることは稀であろう。まして彼らのほとんどは生活保護制度があることを知っているし、なんらかの形で福祉事務所との接触をもっており、そこでの厳格な対応を感じているのである。しかし、自らの権利を理解し主張してはじめて実現するという事実を知ってもらうことは、他のどんな法教育・法律教室より重大なものである。
2つは、やはり野宿者自身に対し、多重債務問題に関する正確な知識を説明することである。多重債務処理に関しては、その知識の欠如と様々な誤解により問題を深刻化させている。例えば、自己破産すると戸籍に載り2度と就業できなくなるといった誤解は広く蔓延しており、数十万円の借金のために一生路上で暮らし続けなければならないと「観念」してしまっている人も少なからず存在する。彼らは、住民登録をすることを頑なに拒み自立への阻害要因となっている。
3つは、市民の野宿者に対する誤解を解消することや人権についての啓発である。怠惰と評価された野宿者の再就職は難しい。特に事業者に正確な知識を伝え、その誤解を解消することは大きな自立支援となる。また、野宿者を襲撃する青少年は後を絶たない。偏見や差別意識を解消し、人権尊重意識の啓発は絶対に必要な活動である。
ホームレス総合相談ネットワーク
以上を踏まえ、野宿者の人権を擁護し救済する目的で司法書士・弁護士・支援者で本年2月に結成したのがホームレス総合相談ネットワーク(以下、「HL相談」という)である。
HL相談では、救済のための法律相談と情報提供としての法律教室を両輪と捉えて、必ず同時に開催している。現在のところ、月1度の割合で路上と都内の保護施設において交互に開催しているほか、必要に応じて、先の3つに分類される人権啓発の法律教室を中学校などで開催している。
路上での教室は、支援者との協力で開催することから毎回100人を超える参加者がある。拡声器などを準備できないことが多いため、より多くの人に伝えるためにはいくつかの工夫が必要である。1つは大声で叫ぶことであり、1つは寸劇を交えながら判りやすく説明することにある。毎回担当する法律家が脚本を書き上げ、私たち自身がときにはヤミ金に扮して強硬な取立てを演じ、ときにはホームレスに扮し不安げに仲間に相談することなどを演じる。アンコールがおこることもあり、演じながら私たち自身が楽しむことができる効用もある。
さて、法律教室の目的は、転ばぬ先の知識や知恵を伝えることではなく、現に救済が必要な人に対するもので即効性のあるものでなければならず具体的説明となる。時効援用、特定調停・自己破産手続やそれらの手続きに伴う法律上のメリット・デメリットなどの説明は、理解に差が生じることも想定しなければならない。そこで具体的説明の中に幾度も、少なくとも飢えや寒さに恐怖しなくてもいい生活をする権利があり、その権利は、お金を貸している人のお金を返してもらうためのどんな権利より重いということと、法律家に支援を求める権利があることを繰り返す。
保護施設とは、正式には緊急一時保護センターという施設であり、東京都において野宿者が救済を求めたときに必ず1ヵ月間入所し、その後の自立支援センターにおいて求職活動を行う準備として、心身の健康回復や自立方針を決める施設であると報告されている。遅くても1ヵ月後には入所する就職活動の場である自立支援センターでは、原則として住民登録を行い求職活動することが求められているから、直近の問題として債務整理が要求される。300名収容の施設において毎回100名前後の人が法律教室に参加し、誰もが身近な問題として真剣に耳を傾けることを特徴としてあげることができる。レジュメも準備することが可能なため路上に対して密度ある法律教室を行うことができる。しかし、ここでも相手が典型的消費者金融でないから無理だなどと誤解し、自らの立場を否定的に考える人が多く、先の数字に表れない「負目」という高利との葛藤に苦しむこととなる。
あなたの選択は間違っている!
HL相談でのある日、法律教室担当であった私は、大雨が降る有楽町駅程近くの数寄屋橋公園で叫んでいた。「借金を返す必要がないなどとは言いません。借りたものは返すべきです。でも、借金が原因で路上にいるのであれば、あなたの選択は間違っています。それと、あなたやあなたが大切にする人の幸せを願うことでは、重みが違いすぎます。まず、あなたは自分や自分が大切にする人の幸せのために努力すべきです」。その後、個別相談に移ったとき目の前に座る50代の男性は、「10年前に夫婦で話し合って、私だけ家を出ました。子どもは当時15歳を筆頭に3人で、一番上の子は、先日結婚しました。子どもの晴れ姿を見てあげることができずに本当に申し訳ない思いです」と目頭を押さえ「あのとき死ぬ勇気があれば、家族に迷惑を掛けなかった」と懺悔する。つい先ほどまで傘に埋もれた人影でしかなかったこの男性は、10余年の間、東京の下町を転々と野宿してきたという。ここでも、私は「あなたが遺棄した家族の問題と数百万円の業者からの借金の問題とでは、重みが違いすぎる、あなたの選択は間違っている」と同じようなことを言っていた。少なくとも彼は、飢えや寒さと戦うよりも、家族の幸せのために戦うべきだったと感じたから。
同じ時間、隣のテーブルでは、10年間この日が来ることを夢見ていたという男性が別の法律家に嗚咽しながら、何度も礼をしていた。「消滅時効を援用する」というたった数行の通知により開放される苦しみを、10年間1人背負いながら野宿していたのである。
これは、1日の光景であり、同時に毎度の光景である。場所が、数寄屋橋公園から山谷の公園、新宿の公園、保護施設にかわるだけである。
人権110番
私たちは、生命の危機に瀕したとき当然に救済を求めて110番や119番にコールする。一方、貧困はそのこと自体が人間の尊厳に対して重大な影響を及ぼす事象であり、その尊厳は、命に勝ることさえある重要な人権であるにも関わらず、事実上の保障がなく、110番も119番も準備されていない。
憲法第25条は生存権として「健康で文化的な最低限度の生活」を国として保障し、具体的な保障は、生活保護法に委ねられ、その運用は、福祉事務所に委任されている。しかし、福祉事務所には、生活保護申請書はもちろん書き方を示したものも置いていない。それどころか、65歳以下の稼働能力があるとされる年齢の方が困窮を訴えても、苦しいのはあなただけではないと諭され、あるいは怠惰と怒鳴られ追い返されるという現実が多数報告されている。
すでに人間としての尊厳に侵害を受けている野宿者たちは、最後のセーフティーネットである福祉事務所においてさえ、法外援助である一欠片の乾パンと「ガンバレよ」の一言と引き換えに自らの権利を放棄していく。
たかだか借金(誤解を招く表現ですが)の問題で家族を捨て、野宿を選択し飢えに苦しみ、当然の権利としての生存権保障を放棄し、その結果、幸福を追求する体力も失っていく。幾重の凋落の中でどのタイミングでも人権の110番や119番を提供できなかったことが残念である。
第四分類の法教育
ホームレスの人々の幾重の凋落は、決して一夜に起こることではない。誰しも野宿を観念する前にあがき救いを求める。家族や親類縁者・友人知人に相談した結果、その不正確な情報やアドバイスなどの誤解から間違った選択を余儀なくされることが多い。もっと身近に感じる法律相談の窓口や人権啓発の法律教室が準備されていれば、彼らは路上に至らなかった。
もっと深刻なことは、法律相談の窓口にまで行きつきながら、相談する側の説明能力の不十分さや、相談を受ける側の意識の問題から相談の根本部分である貧困困窮の問題に触れることなく、例えば免責不許可事由の有無などという、一方面からの切り口だけのアドバイスや不用意な発言により、セーフティーネットであるはずの法律相談が野宿選択の直接的入口になってしまうことが多々ある。当たり前過ぎる「生きていく権利」は、借金相談の技術的アドバイスに埋没させられてしまうのである。
私たちは、真摯にこれらの事実を反省しなければならない。司法書士は、多重債務の問題には積極的に関わり、その救済に力を入れており、その社会的評価を受けている。しかし、その終末としての事象であるホームレス問題に関しては、大きな社会問題であることを認識しながら、個人の自由の問題と矮小化して捉え、有効な救済活動を行ってこなかった。貧困に苦しむ多重債務者と業務として多数接しながら、生活再建の手段としての生活保護に対しあまりにも無関心であった。
私たちは、彼らを救済することや、彼らに情報提供する能力があり、しかも救済や情報提供することに大きな困難を伴わないだけに残念でならない。
第四分類の法教育とは、実は私たち自身が自らに課す人権意識であり、自らへの人権教育なのではないだろうか。
